李朝前期には小中華思想における
一方、李朝前期には小中華思想における他者化の面も顕在化する。李朝は周辺諸国を文明化されてない夷狄と蔑み、通交する諸勢力を東の日本、南の三島倭(対馬、壱岐、松浦の日本人のこと)、西の琉球、北の野人(女真族の蔑称)と分類し、自身を小中華に見たてて「李朝の徳を慕って四夷は入朝」しているのだと解釈しようとした。これは明中心の冊封体制では同格であるはずの日本国王(室町幕府)や琉球王朝すら「徳をしたい服属した」とする極端な解釈で、現実にはこうした扱いを出来たわけではない。しかし周辺諸勢力を夷とみなそうとする志向は確実に存在し、李朝実録にも「北に野人の来朝する者あり、東に倭奴の通信する者あり。?中略? 皆我が類族にあらず、その心必ずや異ならん。」といった差別観念が表れている。李朝の元日の儀礼にはこうした小中華思想の二つの面が表れ、国王はまず冕服(明帝から下賜された国王の礼服)を着て望闕礼(明の皇居を遥拝する儀礼)を行った後、絳紗(赤いうすぎぬ)袍に着替えて倭人、野人などの朝賀を受けていた。
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しかし実際には李朝は小中華として振舞えたわけではなく、新羅以降の伝統的朝鮮観の下に朝鮮を下国視していた日本から、日本の年号を使用していないことを以って国書の受理を拒絶される、対馬に1万7千の大軍を動員して攻め込み撃退される(応永の外寇)、あるいは女真族を冊封体制下に組み入れた明から李朝が女真族を藩属扱いしていることに譴責を受けるなど、その小中華的世界観の具現化は叶わなかった。